なんと映画化となりました☆小説『封印した青春』主題歌& YouTube動画 制作をきっかけに

なんと映画化となりました☆小説『封印した青春』主題歌& YouTube動画 制作をきっかけに

なんと映画化となりました☆小説『封印した青春』主題歌& YouTube動画 制作をきっかけに
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人生には、このようなこともあるのですね。

撮影も始まっています♪

作曲・制作しました主題歌、そしてYouTube動画にお喜びいただきましたことが大きな きっかけに。

この度、映画化となりました。

『封印した青春 二月田と指宿の間に』

鹿児島が舞台の、50年という歳月をかけた、切なくほろ苦い青春の物語。

フローラル ミュージックが制作ご依頼を受けました。

初めてのチャレンジです、どうぞ応援くださいませ。

「高評価」や「チャンネル登録」もいただけたら嬉しいです。

皆さまの お気持ちが、原作者がお探しの女性への架け橋となることと願いまして。

ありがとうございます。

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15 thoughts on “なんと映画化となりました☆小説『封印した青春』主題歌& YouTube動画 制作をきっかけに

  1. 有村 義男

    映画化、すごいですね。実は私も二月田・指宿駅のロマンチックな思い出が満ちています。喜入前之浜町から二月田駅で降りると、指宿高校がすぐ近く。受験生として3年間通学、高校は大学受験だけが目標、ただ3年生時に青春も訪れた。かわいい女子高校生が現れました。鹿大入学後も、女子高校生やきれいな女子短大生を指宿駅まで追っかけたりしました。でも私は「フーテンの寅さん」と同じように想いは全く達成できず。教員としても二月田駅に隣接する柳田小学校に11年勤めました。青春時代に出会った女性とぱったり会えないかなと。ロマンチックな望みもありました。映画の完成を楽しみにしております。

  2. 柴藤 ひろ子

    有村さま、コメントを嬉しく、そして驚きとともに拝読しました☆
    瑞々しい青春時代の告白に(笑)、楽しませていただきまして、よろしかったでしょうか☺️?
    本当に ありがとうございます♪

    1952年お生まれの作者でいらして。ご年齢近い方でいらっしゃいます。
    実は分からないところもあり、二月田駅から歩ける距離で「1階がレストランのホテル」が、当時ありましたでしょうか?
    昭和47年夏に短大1年生(19歳)でいらした、お探ししている女性(現在おそらく69歳)がアルバイトしていたホテルで「列車からも遠く見えたホテル」はご存知ではないでしょうか?

    「封印した青春 二月田と指宿の間に」ぜひ応援くださいませ。
    心強く存じております😊♪

  3. 有村 義男

     作者は私より5歳低年齢、短大生女性は6歳低年齢。当時私との出会いもあったかも?ロマンチック!(笑い) 二月田駅改札を出て、左側に接する柳田小学校、右側に元々食事処・飲み会会場の和式建物、すぐ隣りに温泉場も。その後ホテル的ビルが健立されたかな?(これが女性短大生のバイトホテルかな?)。徳洲会病院ビルも隣接。
    ※内緒にすべき情報かも。(作曲講座のCDデザイン担当の松永先生の件。私が柳田小に勤めているころ、娘さんが柳田小学生でした。先生とは全く交流はなかったが。現在は、隣りの宮ヶ浜駅区の豪邸に住んでいます。松永先生は、二月田・指宿方面情報に関しては結構詳しく、映画政策に役立つかも?

  4. 有村 義男

     例の短大生さんのアルバイトホテルで、今ふと脳に湧いてきました。二月田駅改札口を出て、遠くの西側の山頂の大ホテル「グリンピア」を思い出しました。指宿市では、遊び場・ホテル・医療施設(がん放射線治療もする)設置され有名です。グーグルマップで検索すれば、たどれますよ。
     ごめんなさい、しつこい私で迷惑かけています。今後は、見守り応援します。

    1. 柴藤ひろ子 Post author

      とんでもないことです、とっても有難く貴重な情報に感謝いたします♡
      徳洲会病院ビル隣接の建物は線路沿いでしょうか・・二月田駅改札口出てすぐ右の宴会場「花園開館(「開く」の字とお聞きしています)」は、指宿図書館館長の下吹越かおる氏からの情報もあり、情報が合致して有難いです☆
      実際に現場に向かい、駅すぐ近くの写真館の方にも情報いただくことでした。

      元「グリンピア指宿」は、大きな宿泊施設でしたので、きっと学生アルバイトの方も、でしたことでしょう。調べてみましたが、昭和60年開業とあり、きっと当時には、まだ、だった頃でしょうか・・。

      また、ふと思い出されたことがおありでしたら、こちらにても、ぜひ♪
      講座の先生にもお聞きしてみますね。
      心強く存じております、ありがとうございます♪

  5. 有村 義男

     突然すみません。認知症気味で「あ、そうだった」の思い出しも多い。徳洲会病院は、二月田駅から国道に出て右折して国道沿い100m以内。宴会場「花園開館」名はなつかしい、25年以上前の柳田小学校の宴会場で和室の民家でした。「グリンピア指宿」は、現在はベイヒルズホテルとかガン治療で有名なメディポリス国際陽子線治療センターなどに改築されているようです。ホテルには私も宿泊したことが。
     下吹越かおりさんは、だいたい何歳ぐらい(年齢を問うのは良くないですが)で柳田小学校の卒業生かな?年齢により有村先生の印象は残っていないかな?イケメンではなかったのですが。

  6. 有村 義男

     ひょっとして柴藤先生のコメントが記載されてないかも。昨日パソコンインターネット工事がありまして、残念ながら専門家の工事がうまくいかず、インターネットも活用不良に。申し訳ありませんでした。11日の夜間に元に戻せました。今後よろしくお願いいたします。

    1. 柴藤ひろ子 Post author

      こんにちは。慌ただしく過ごしていたからか通知表示に ただ今となりまして、ごめんなさい!本当にありがとうございます😊。
      おっしゃる通りです・・諸々、私の中で二月田駅付近の地図がつながってきて有り難い限りです。

      コメントの中の方は残念ながら柳田小学校では、です。もし、そうでいらしたら、ハンサムでいらしてお優しい有村先生は、すぐに、のことと♡ 子ども達に慕われていらしたお姿が目に浮かびます。

      小説の文章とは異なりますが(場所・・二月田駅より手前で、作者の記憶が少し異なっていたとするならば)列車から見えたホテルは、当時の「かんぽセンター」(現在「こらんの湯 錦江楼」)だったのでは、と。
      まだまだ調べているところです。
      それでは。感謝いたしまして。
      奥さまとお寛ぎの土曜日をお過ごしくださいませ♪

  7. 有村 義男

     おはようございます。柴藤監督の映画はどんな完成状況かな。宮ヶ浜地域の「こらんの湯 錦江楼」で何回か食事。とても評判良いホテル。元々は郵政省施設から民間企業に変えられた郵便局が設置したホテルで、柳田小での教え子の父親も勤めていました。(国鉄もJRに)。
     最近私もあわただしい人生。福祉活動で民生委員9年間、やっと後継ぎが見つかり、11月で75才引退を決断。引き継ぎ手続き・退任式典など色々…。厚労大臣と下鶴市長からの2感謝状・記念品も。20年以上前の教員現職時代より「いのちの電話」7年、刑務所受刑者コンサルタント2年、まちづくり協議会役員10年、歌声サロン担当5年などのボランティア活動にがんばりました。喜入地域の各校区での臨床心理の2時間笑い講演会もさせていただき、ついついしゃべりすぎに(方言でマンニョン)。今は心臓大手術後遺症で「しゃべりにくい」。残念!
     寅年の今年、山田洋二監督の50本の映画ドラマ「フーテンの寅さん」を観て学びました。柴藤監督とは音楽力の大きな距離感が。旅に始まりマドンナとの出会い、寅さんは心惹かれるが、ドラマは毎回別れで終わり(浅いつながりはまだ続くが)、悲しみより逃れるためか、人生の旅のくりかえし・・・。
        やさしい寅さんなんですけどね。

    1. 柴藤ひろ子 Post author

      おはようございます。
      一文一文に、これまでのお時間の重みを感じ入り拝読しました。
      ・・本当に ありがとうございます♪
      映像、音楽、どちらも、まだまだお時間かけてとなりそうです。
      また今度とも御力くださいませ♪
      それでは。
      よい一日を願いまして♡

  8. 夢の彷徨い人

    「昭和47年……」、胸の鼓動が高鳴りました。
    「6年間東京で人生勉強しておいで」、父の言葉に背中を押され、昭和47年3月、溢れる夢と希望を胸に夜行寝台列車に乗り込んだ日が、鮮明に蘇ります。
    サッカーや器械体操に明け暮れた青春時代。お互いに声も掛けられず、遠くから見つめ合っていただけの恋(果たして、恋といえるものなのか?)。今は、幸せで健やかな人生を送っていることを願うばかりです。
    これも、男の性格なのですかね。いつまでたっても過去を忘れることも、捨てることもできずにいます。
    私にとっても昭和47年は想い出の引き出しが多すぎて、溢れそうで、長々となってしまいました。
    映画・楽曲の実り多きご完成楽しみにしています。
    柴藤様のお健やかで、更なる飛躍を願っています。どうか、心豊かな新年をお迎えになられますよう。

    1. 柴藤ひろ子 Post author

      夢の彷徨い人さま、コメントを有難く頂戴しております☆
      「昭和47年」に御心寄せてくださいまして、作者もどれほど喜ばれることでしょう。
      指宿枕崎線にも お優しき夢の彷徨い人さまには繊細で素敵な思い出がおありのことと拝察します。
      今は、列車に乗り込むと、すぐにスマートフォンの画面をのぞき込み・・車窓をぼんやり眺めることも、乗り込んできた人とのひとときに瞬時でも心動かすことも少なくなっていることでしょう。
      素晴らしいお父様・・大切なお母様とともにお思い深く、でいらっしゃいますね。
      来年まで、ですが、どうぞよろしく応援くださいませ。心より感謝申し上げます♡

  9. 有村 義男

     映画化はだいぶ進んでるでしょうね。音楽と映像の映画、まだ私には想像できませんが、楽しみにしております。

    1. 柴藤 ひろ子

      コメントありがとうございます♡
      ただ今、編集作業です。
      そちらを大方済ませてから更なる音楽制作へと。
      夏の上映を目指して頑張ります!
      またご連絡もさせていただきますね。感謝いたしまして♪

  10. 有村 義男

     返信、ありがとうございます。映画製作は大変ですけど、がんばっていらっしゃるんですね。先生に迷惑かけないよう、距離とり「楽しく見守っております」。
     夏の上映を心待ちしております。

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